四畳半商店ではフィリピンと日本の手仕事、そして無垢の木の家具を中心に、暮らしの道具を扱っております。
侘び茶の祖・村田珠光は、四畳半の茶室を初めて考案したと言われています。
舶来品が持て囃される時代に、和物と唐物を交えて、共に茶室で用いることが大切なのだと、珠光は説きました。
日本の「和」という土台の上に、多様な世界の手仕事が調和した、四畳半茶室のような世界。
背景にあるのは「寛容」、そして「和」という日本人らしい心。
和の暮らしを大切にしながらも、世界の手仕事と繋がっていく。
そんな日本人らしい暮らしの在り方を、四畳半商店はお伝えてしていきたいと考えております。
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〜四畳半商店ができるまで〜
夏休みに過ごした、祖父母の古民家が大好きでした。
内とも外とも言えない縁側が気持ち良く、家の居ながら大自然を感じられる不思議な心地よさを知りました。
居間で寝起きしていた僕は高校生になって、初めて自分の部屋を与えられました。
プレハブ小屋で、その壁紙がかっこ悪くて、白くペンキで塗りました。
そうして部屋を作り込んでいくことが楽しくて、夢中になり、高校卒業後はインテリアデザインと家具製作の世界に進みました。
夢だった職人の世界は厳しく、若さゆえに親方や先輩と喧嘩別れし、自分を見失っていきました。
無力感から逃げるように、フィリピンへ向かいました。
青年海外協力隊として、家具製作指導をするという活動は楽しくもあり、辛くもありました。
「自分が満たされていなければ、他人を助けることなんてできない」
と身をもって経験しました。
偶然、2度目のフィリピンでの活動の機会を頂きました。
「次こそは」という想いで、フィリピンのものづくりを支援してきました。
それでも伝えたいことが伝わらず、嫌になることばかりでした。
ただ、今振り返ると、3年間のフィリピンの活動を支えてくれたのは、彼らの笑顔であったり、彼らの明るい生き方でした。
フィリピン人に騙されたり、約束を破られたり、数えきれないほど腹を立てましたが、何故か彼らは憎めません。
「他を受け入れる」ことを彼らは教えてくれていたのです。
フィリピンには日本ではまだ知られていない、土着の手仕事の文化が、たくさん残っていることを知りました。
自分達の文化とアイデンティティに誇りを持ち、活動しているフィリピン人達がいることも知りました。
僕は日本人なのに、日本のことを知らないと思うようになりました。
自分が満たされていなければ、他人を助けることなんてできないことと同じように、
「自分達の文化の良さを知らなければ、他の文化の良さもわからない」
そう思うようになりました。
私達の生まれ育った日本の文化を大切にしながらも、
フィリピンや世界の文化への敬意や好奇心を忘れたくないと思うようになりました。
あなたは日本人としてどう生きますか?
「和すること」
私たちが当たり前に持っているこの感覚は、異なるもの同士が互いに手と手を取り、繋がっていくことの出来る、神様からの大切な贈り物なのです。
そんな日本人らしい感性を、手仕事を通してお伝えしたいと思い、四畳半商店を始めることになりました。