2018/05/07 22:16
僕は高校2年生の時に、初めて自分の部屋を与えてもらいました。
実家の庭に建てた、6畳のプレハブ小屋でした。
ペイズリーみたいな壁の柄が気に入らず、クリーム色のペンキで塗りつぶしました。
内装用と外装用の違いも分からず、ペンキの化学的な匂いに、頭がクラクラしました。
当時流行りだしていたDIY。
雑誌Smartインテリアを女の子の友達に見せてもらった時から、部屋をもっと改造してカッコよくしたいと、夢中でDIYを始めました。
壁を貼ったり、絵を描いたり、家具を作ったり、流木や石を拾ったり。
そうして僕は退屈だった機械科から、インテリアデザインの専門学校へ進んでいきました。
専門学校はとても楽しかった。
休みになると夜行バスに乗って、京都の寺社仏閣を見に行きました。
桂離宮の予約をしてたのに、夜行バスのせいか、1日ずれて拝観出来なかったこともありました。
デンマークのウェグナーが好きで、北欧への留学を考え、英会話に通ったりしていました。
英会話と学校の課題、アルバイト、プライベートの時間を全て両立することは、非常に難しく、英会話は金銭的にも続けられなくなりました。
プレハブ小屋は冬寒く、夏暑くて、勉強するには過酷な環境でした。
卒業製作の前は徹夜の連続で、毛布に包まりながら、寒いプレハブで模型やプレゼンボードを作りました。
お陰で一番良い賞をもらったけど、その無理が負担になり、結核を発症してしまいました。
一年半くらい、一日十錠以上の薬を飲み続け、無事完治しました。
健康でないと、全てのことが不利だと知りました。
僕は当時、建築家やインテリアデザイナーになるのか、家具職人になるのか迷っていました。
面接した建築事務所の方に、「建築というより、木が好きなんだね」と志望の理由を読んだ時に言われました。
「そうか、僕は木が好きなんだ」と改めて気付かされました。
一年間、建築事務所でアルバイトしたり、夜勤のアルバイトして貯金をして、木工の職業訓練校に入学しました。
人がたくさん木に触れられるようなモノを作りたいと思って、家具職人への道を選びました。
続く。